发现自己的日语越来烂了,重启一下。
「わがままを通し、周りを思い通りに動かそうとする祖母のことを、曽祖母は心配した。祖母が女だったことが、彼女の心配をいっそう大きくしていたのではないか。どれだけ恵まれた生い立ちで、どれほど特別扱いされようとも、女である限り、やがて親元を離れていく日が来ることを考えていたのではないだろうか。」
「気が強くて男勝りな祖母に、なんでも相談できる女の友達はいたのだろうか。そもそも女が嫁に行ったあとに、自分の昔の土地の友達を訪ねたり、おしゃべりしたりする時間を持つことは、許されていたのだろうか。」
「口の悪い人だったが、何を言われても、祖母の言葉をそのまま信じて傷ついたことはない。むしろ面倒見がいい反面、まわりをコントロールしていたい欲求が人一倍強くて、思い通りにならない現実にいつも真面目に腹を立てる姿を、子供に隠すことなく堂々と見せる祖母の潔さに、わたしは不思議な魅力を感じていた。」
「腰のあたりで、疲れたように首をかしげるエプロンの蝶々結びを、その下のくるぶしの、畳で生活する人特有の赤黒くてかさかさした座りだこを、張りを失って柔らかくなった二の腕と肘の皺を、眺めては触りたい気持ちに駆けられた。子どものわたしには存在しないそれらは、美しかった。伸びた背筋、吸い殻につくほのかな赤い口紅の色と、きちんとセットされた髪は、母とは違う女の人を連想させた。遠回しに人を寄せ付けまいとするよそよそしさと、誰かに声をかけてもらうのを心待ちにしている子供もような、おくてな恋しさが同時に存在していた。」
——『背中の記憶』長島有里枝